2012年02月06日

Ceremony2012-おひさまのほうから-

小屋入りまで2週間!

おもしろくなってきました。
月並みな言葉ですが、「生みの苦しみ」。
いつものことです。

これを越えれば、ストアハウスカンパニーの世界が、舞台に立ち現れるのです。

今回のテーマは『生きること』。
「役」があって、それを俳優が演じるのではなく、
「舞台を生きる」人々を見せる作品です。

みなさま、ぜひおいでください。
posted by ストアハウスカンパニー at 20:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月16日

目は臆病だが、手は鬼になる

震災後、海を遠くに眺めながら、漁師がつぶやいていた。
三陸には、そのような言葉が、古くからの言い伝えとして残っているのだと彼は言う。
確かに、眼は臆病だ。そして都合がいい。見たくないものは見ないばかりか、なかったことにもしてしまう。
フレームの外側に押しやったはずの風景が、後から後から入り込む。
確かに、眼は臆病だ。
そして狡猾だ。
溢れ出る涙は、甘い匂いがする。
おそらくは、忘却や捏造という名の甘味料入りの涙に違いない。
公園の砂場には、砂糖漬けの眼球が並べられ、無数の蟻が群がっている。
だから、手は鬼になる。
鬼にならなければならないのだ。
鬼になった手は、決して思い出さない。
そして、振り返らない。
鬼になった手は、記憶する。
臆病な眼が、見ることができなかった事柄を記憶する。
臆病な目が、涙とともに洗い流した風景を記憶する。
眼は臆病だが、手は鬼になる。
もう一度つぶやいてみる。
いつの間にか、からからに乾いた俺の眼球は、瞬きもできない。

                             
                              木村 真悟
posted by ストアハウスカンパニー at 14:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月24日

余白について

ここのところ稽古場では余白について考えている。
というか、余白のことが気になって仕方がない。
つまりは、稽古場に隣接したロビーのチラシ棚には、大量のチラシが並んでいるのだが、チラシに記載された公演情報よりも、その余白が気になって仕方がないのである。思い余って気になったチラシから余白だけを切り抜いて舞台の上に並べてみたりするのだが、なかなかのものである。意味などないと思っていた余白が意外に何かを語ったりする気配が漂ってくる。しかし、俳優は意外なことにその余白に気がつかなかったりする。それどころか無頓着にも大事な余白を踏んづけしまったりするから始末に困る。そもそもそんな余白は余白ではなかったのかもしれない。
そんなわけで、稽古終了後、恒例の雑談と称する飲み会では、余白について語り合うことになる。
たとえば、小説とか、詩とか、台本とか、いや絵画であっても、私たちは余白を読むことで心を動かしているのではないかと誰かが言い出すと、でもいちいちそんなことを考えていたら、まずバイトは首だな、と誰かの声が混じる。
問題は、俳優が余白を生み出せるかどうかなのだと思うのだが、突然、ああ、俺、余白になりたい、という大声が響き渡った。
明日もまた余白について考えることになる。

                           木村 真悟
posted by ストアハウスカンパニー at 19:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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